アート&サイエンス,

作りたいものを作らずして,作家も何もないものです.
いつの時代でも,あらゆる素材,道具,機械を身体の延長のごとく駆使して,
芸術的表現は,成就されるものです.
新しい芸術は,その時代,その知りうる全てをもって,完熟を目指して来たのではないでしょうか?

そう言う意味では,自然科学も科学技術も実に打たれ強く,我慢強い行動です.
解らないことをハッキリと客観的に「解らない!」と説明し,
不可能を可能にする中で,客観的な評価を受けているからです.


芸術は,自己の創造的主観性(感性)への挑戦であり,
自然科学は,自己の創造的客観性(論理性)への挑戦です.


したがって一人の人間の内で,
これらの挑戦は,程度の差こそあれ常に成されているわけです.
特に,幅広く学ぶことが主体の義務教育では,
バランス良く,あらゆる成長の(幹細胞のような)可能性をもたせた教育を考慮するべきです.
しかし,職業が分化し,それゆえに教育が専門化してしまった今,
ユニバーシティーといえども単科大学同然の学生が卒業するありさま.
職に就けないという恐怖も手伝って,専門家を目指さざるを得ないのが実情です.
人間は,少しは長生きできるようになったのですから,Art&Scienceは,
人生半ばを過ぎてからの挑戦であっても良いのではと思うくらいです.
青年の内は,迷わずに何かに集中することが,「急がば回れ」の近道のような気がします.

一個人にしてみれば,芸術の一回性さながらに,
その累積性と,更なる更新性が教育を通して守られているのです.
反論をも皆で常に検証しながら,果てしない道を歩み続ける科学と技術.
これだけ自然について明らかにし,人工物を繁茂させてきたのですから,
捧げられた多くの人生や,犠牲となった命に感謝の気持ちで一杯です.
もちろん,それなりの問題も生まれています,その辺は賢者の動向を見守ることでしょう.
さらなる思考を刺激するには,可視化技術を無視できません.
電気泳動,特殊顕微鏡,画像処理.
又,コンピュータによる情報処理技術なくして,DNAの解読は不可能だったでしょう.
宇宙から生命に至るまで,
科学も技術も,共に連携しなければ,もはや前進はありません.

そんな時代に,
芸術だけが,レオナルド・ダ・ヴィンチの時代に留まれるのでしょうか?
彼が今生きていれば何をしているか,たいていの人は察しが付くでしょう.

彼は,解剖の変わりに何をするでしょうか?
ポンプや飛行機の変わりに何かを作るでしょうか?
乱流のシュミレーションに挑戦する現代で,
渦についてどう考え,何を描き出すでしょう?
城に変わって,彼は何を現代社会に提示するでしょうか?
核爆弾でなく何を設計するでしょう?
是非とも知りたいものです.
これこそが現代の目指す Art & Sience であり,
自分自身の分化した細胞を統合する,一人の人間としての生き方のモデルです.
生涯の中で,自然を自ら見つめ,描き,科学し,
現場に足を運び,技能と技術を身につけ,
計画し,計画し,表現することです.

そして,最後に,まだ一人で頑張ろうとする元気があるのなら,
どのような「モナリザ」を描くかを,
喜々として考えて下さい.

070903

isi

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