こんにちわ、Everyday ヨシカワです。

テクノロジーとアートの関わり合いについて、これから(20年間の)

今までの私のレーポートを再構成し、今後の活動に場をつくり

新しい交流の場を実現すべきだろうと、今思って、頭を空っぽにして

発言していきたいと思います。皆様よろしく!

(Adhesivコンピュータによる)

芸術は長し、されど芸術は破壊されるべし。

現代的粘着による粘着的倒壊のための倒壊的完成。



Index

スーザン・ダージェス

-波に生まれる形-

●{14} フロマンジェ展





スーザン・ダージェス

-波に生まれる形-

スーザン・ダージェスは、テクノロジーをオーガニズムとしての人間に結びつけると

いう方向で作品をつくっているが、その背後には、科学と哲学、宗教の統合という、

今までのアートにはなかった彼女独特の発想があり、アートをより人間に近つかせ、

アートをより自由で軽やかな形へとり戻そうとする試みが見られる。さて、作品であ

るが、金粉をまいた水盤をボディ・ソニック用の小型スピーカーで振動させ、クラド

ニ・パターンを発生させていくリアルタイム・スカルプチャーである。それは粉の量

やエンドレステープから出る音の大きさなどによって、パターンが幾つにも変わって

いく。低い周波数の時は大きな模様、高い周波数の時には細かな模様があらわれる。

ヴィデオ作品の「カイマティカ」はチベットの仏教哲学タントラの声明によってヴァ

イブレートされた水面上の金粉が波紋をつくり、次々に変化していく様子をあらわし

ている。また、「リップルド・サーフェス」と名付けられたヴィデオ作品では、水面

下に置かれた鏡にヴィデオカメラがうつり、そのカメラが音の振動によってパターン

をかえていくというものだ、ヴィデオ作品では他にも、「ウォーター・ミュージッ

ク」「クラドニ・ミュージック」があり、周波数によってヴァイブレートされた波が

無数のパターンをつくり、あらわれては消え、消えてはあらわれるという無常の生命

体のような動きを見せている。静止したクラドニ・パターンによる写真やプリントを

見ると、そのどれもがシンメトリーに近い点や線になっている。それがまた曼荼羅の

一画のようでもあり、音として使用しているタントラの声明と奇妙に一致している。

元来、曼荼羅とよばれている図像は、タントラ(密教)思想に裏つけられたものであ

り、「意識の自然」状態がもたらす体験と深く結びついている。「意識の自然」状態

とは、あらゆる制約から解放された、空と無と同質の純粋な実在であり、すべて形あ

るもの、生命あるものは、この空と無の中から生じるものである、という考えにもと

ずいている。一方、タントラの声明とは、低くて力強い声で、神々のヴァイブレー

ションを模倣した音を唱えつつけているもので、曼荼羅の深層のメカニズムを不思議

なほどに実現しているものである。なるほど、スーザン・ダージェスの波のパターン

は無限多様体であり、宇宙にあるありとあらゆる生成を映像の上で再生したように見

えてくる。彼女が、音と映像の波を、形(物質)を通して発見したのが先か、それと

も、タントラの思想を通した意識の中で考え出したものかどうかはわからないが、奇

しくも構造主義に背を向けたタントラの哲学では形(物質)と意識とを分ける観念す

ら解体し否定しているわけだから、彼女の制作の起点を言葉にする必要はないのかも

しれない。しかし、彼女がこれからアートの中で追求していくことは、おそらく、振

動の理論に基いた、無限多様体の言語であろうことは予期できるのである。

ヨシカワ

抜粋1986年(岡崎球子画廊)






現代アートは、伝統的な絵画や彫刻の表現を踏襲したアートから、デジタルメディア

によるアートにいたるまで、多種多様な芸術表現があり、表現法においてはデジタル的か、アナロ

グ的か、というわけ方で見ることが多い。しかし、・・・・


アンソニーカロのペーパーワークス

イギリスの彫刻家カロが彫刻の素材として紙を選んだのは、かれこれ20年位前の

ことで、厚紙で鉄鋼板を扱うような手法で作った、壁にかける紙彫刻であった。その

一連の紙彫刻を初めて見た時彫刻家カロの紙への思い入れは並大抵でないことがわ

かった。鋼鉄の作品にも感じられたのだが、カロの彫刻には音楽のような時間が流れ

ている。不動の立体なのに完結する寸前のリズムで時を刻んでいる。ちょっと手を触

れればまた解き放たれて動きだし、またもう一つのリズムでさらなる完結へと向かっ

て動き出すような、そんなリリシズムである。厚紙という素材は鋼鉄や陶器よりもっ

と繊細に柔らかくそのリリシズムを伝えてくれる。折り曲げたり、ちぎったり、丸め

たり、裂いたり、といった素材の持つ特性をカロは余すところなく最大限に引き出し

利用しているのだ。またそこに施した色彩や線描は人工的でありながら、紙の特質を

浮き立たせることに成功している。

 抜粋・1992年

  東京工芸大学中野キャンバス第30回大会(レジュメ)  Everyday 

ヨシカワ

はじめに(研究対象)

広場と芸術について(アートと環境)

東京工芸大学中野キャンバス第30回大会

 一本の線のように連なったアートの変遷は、いったん一つの規範が破られると、そ

こから枝分かれするように、種々の新しい様式が生まれていきます。そしてその様式

からまた新しい様式へと向かっていき、アートの歴史が作られていくわけです。その

背景には当然機械の発明や産業の発達や都市化などの社会背景が大きく左右されま

す。特に第2次世界大戦後のテクノロジーの発達は目も眩むようなスピードで社会を

変えていきました。1960年代にはコンピュータが出現し、アートの世界に革新的

な手法を提供するようになりました。日進月歩のコンピュータの進歩は、美の概念を

くつがえすような勢いがありました。しかし、もうすでに現代アートは、先人のアー

ティストによって機械信仰の束縛から解き放たれていたため、コンピュータの発達に

よるグローバルな情報交換から、かえって多種多様な様式や考え方を可能にする方向

へと、進み出したのです。その先人のアーティストというのが、ほかでもなくフラン

スからアメリカに渡ったマルセル・デュシャンです。

                吉川 信雄

デュシャンが回転する自転車の車輪をスツールの上に載せて作品としたのが、191

3年のことですが、その後も様々な実験が行われました。


nマルセル・デュシャンが大ガラスの作品「彼女の独身者たちによって裸にされた花

嫁、さえも」の草稿のなかで書いている文章は、いかにもデュシャンらしい既成芸術

への批判になっています。その一部を紹介しましょう。「長さ一メートルの水平の真

直ぐな糸が一メートルの高さから、きままに、ねじ曲がりながら、水平なところに落

ち、それが新しい長さの単位を決める。」これがデュシャンの物事を測る物差しなの

です。相対的に物事の価値判断をするのではなく、ただ一つの例外だけが規範であり

法則であるという物の考え方です。物事の善悪、美醜、差異といったものは、何の規

範も持たない、ということをデュシャンは言いたかったのでしょう。

  デュシャンの既成概念への否定は、その後の現代美術の世界に大きな影響を与え

ました。

  彫刻の世界でも、それまでの範疇にない、様々な実験が行われるようになりまし

た。

イギリスにはターナーのような、だれでもが知っている正統派の風景画家がいる。

一方、ターナーの

ような静ひつなイメージと相対するように、フランシス・ベーコンというグロテスク

な作品を描いている画家がいる。・・・・

しかし、ターナーでさえ、実は、グロテスクな面をもっていて、スキャンダラスな絵

をかいている。・・・・


n デミアン・ハーストとは?

   どういう作品を作っているか、というと、「牛の頭などをガラスケースで標本

(ホルマリン漬け)にしたもの」

   ここに写真があるので、お見せする。

   女の子の巨大彫刻(Charity)

   募金箱・・脳性麻痺支援団体 SCOPE

nトラファルガー広場での河原温のイベント

  河原温の読み上げのパフォーーマンス

n四番目の台座

 ここにもグロテスクな作品がある。・・・・

 トラファルガー広場の4番目の台座

 広場にはネルソン提督碑 

nサウス・ロンドン・ギャラリーの歴史

  サウス・ロンドン・ギャラリーといえば、夏目漱石もロンドンに留学していたと

き訪れている古い伝統のあるロンドン市営の美術館。

  そこで20年ほど前に、私が組織して、日本の作家達の展覧会を行った。

終わりに

バイキング(海賊)やビートルズを産んだイギリスである。アートにおいて、保守ば

かりじゃないのは当然で、イギリス現代彫刻を見るだけでも、その新しさ、という

か、時代や世界に発信するモノが、これからどういうものになっていくのか、という

ことがうかがい知れるような気がする。

以上です。どうも有難うございました。

(参考文献)

1・イギリス美術史  サイモン・ウイルソン 著 多田稔 訳 岩崎美術社

2・エリザベス朝のグロテスク  N・ローズ 上野美子 訳 平凡社

3・トマス・ハーディ研究 王冠  D.H.ロレンス 著 倉持三郎 訳 南雲堂





{14}

フロマンジェ展

何を描いても造っても、芸術となり、芸術とならないような時代でありながら、実際

は現代アートという、いかにも強固なイズムのなかに、アーティストたちは組み込ま

れているのだ、という悲観的な状況のなかで、このフロマンジェ展は、大いに私達に

そのイズムから開放させ、衝撃的な感性こそ重大なエネルギー源であることを示唆し

てくれた。

 ジェラール・フロマンジェは、フランスの作家でありながら、5年前、イタリアに

旅行に行ったついでにイタリアに住みついてしまったが、住みつくという断定は避け

た方が賢明なようだ。彼は動くことが好きなのだ。パリにも寓居を残してあるとい

う。イタリアのトスカナ地方に居を移してから、彼はエトルリア文明に関心をもち、

インスピレーションを受けて、「アレグロ」シリーズを描くのだが、彼の作品のスタ

イルの変遷ぶりも、実生活と同じように、めまぐるしく変化している。彼の初期

(‘65年頃)の絵画は、写真の映像をモノクロで描き、一部だけを彩色した記録絵

風のものだった。サルトルやジャック・プレベール、「公子ホンブルグ」を演じる

ジェラール・フィリップなど。そのいずれもがスナップ写真のような瞬間を停止した

作品である。その後も、フロマンジェは報道写真家を同行して、記録を絵画に定着さ

せることに専念したという。しかし、近年の作品は、驚くほど豊かな色彩、自由自在

な線や形が、エネルギッシュにほとばしりでている。79年の作

「私はアトリエにいて描いている、デッサン、画筆、トレース、ヴァルール、コンポ

ジション、メディウム、画像,暖、架台、色、寒、イメージ、フレーム、光、曲線、

空間、色調、直線、リズム、チュ−ブ、視線、ヴォリューム、パレット、コントラス

ト、絵画、フォルム、部分、カンヴァス、すべて活きずいて、世紀、腹、髄、眼、

口、皮膚、血、そして君は 僕の恋人 僕の心 僕の命そして 君は、涙、傷、笑

い、視覚、聴覚、味覚、収穫、触覚、私の欲望だけに従って」という長いタイトルの

ついた油彩は、国旗、道路標識、交通、天体、食事、といったありとあらゆるものが

記号化され、幾何学的な模様に収められ、文字と同列に、リズミカルに並べられてい

る。つまり、現代のシステム化されたイメージや記号化されたメディアに対して、そ

の価値体形は同一であり、そのどこにも固有の自己の欲望を充たす要素はない、とい

うシニカルなというよりむしろユーモラスな提示をしているともとれる作品である。

そして、‘82年に描かれた「アレグロ」シリーズの「頭を前に」という作品において

は、それらのイメージを解体した後に、いかにして自分の欲望=主観を形成していく

か、というひとつの実験過程として提示されたようにも思えるのだ。この作品は、エ

トルリア風の人間の胸像が、いくつもレンガ様のモザイクの中に浮かび、それぞれの

頭の色にしたがって、ベクトル状にその色彩の諧調を変化させている。フロマンジェ

の連続体の変調は、色彩にとどまらず、粒子を連続体につなげていく運動性の強いも

のとして、人間や身体、時間、日常、といった概念のすべてにあらわれているのだ。

身体はもはや物体という固定した実態だはなく、器官をもたない身体のように、内包

的空間である。シリーズ「日常生活」においては、絡み合ったひもの中で繰り広げら

れる男女の姿態が自由き放に運動している。そこには生もなく死もなく、意味するも

のも意味されるものもなく、すべてのものから解き放たれた光の粒子が、身体という

形をとって遊んでいるだけである。それは身体という考えそのものまで解体して、限

定された視覚を自ら解き放そうとしているようだ。彼はこの作品に、“30スナップ

ショット”という副題をつけているが、初期に描いた、実際にスナップ写真からとっ

た絵画にしても、フロマンジェという作家は瞬間にこだわる作家であることはまちが

いない。しかし、近年のシリーズをみても、瞬間のとらえ方が、現象凝視から時間と

意識を超えたメタファへと移行してきていることがよくわかる。

 様式化されたときにはもうすでに棄てているフロマンジェの欲望が、今後どのよう

なものに向けられていくのか、楽しみである。



85年7月5日〜8月3日

於 フジテレビギャラリー





アートスクランブル

GROUP ARTS UNIS NEWS

1984年〜1986年



1・ナムジュン・パイク展

2・新井淳一{布空間布人間展}

3・デザインニューウェーブ‘84日本展

4・持田信夫写真展

5・ブルース・マクレーンのスピード絵画

6・アレキサンドル今井の環境パフォートマンス

7・ポーラ・クーパー・ギャラリーの8作家展

8・コラボレイションKダンスと打楽器によるパフォーマンス

9・チャック・クロースの肖像画

10・サウンド・オブジェ展 松本秋則

11・ロジャー・アックリング展

12・進展―三上浩

13・バルトリーニ展

14・フロマンジェ展

15・心の流通器管―有川高志のアート

16・バナキュラアブストラクション展

17・ブルーノ・ムナーリ展

18・スーザン・ダージェス展―波に生まれる形―

19・由美子・ギョクチェ展

20・NSバボットランド

21・Visual Sound Forumに参加して

22・手で見る造形展

23・ラッファエル・ソト展

24・技術の万華鏡「石山修武の仕事」

25・ボイスルーム

26・糸巻きの夢想

27・主体の動力源

28・三上晴子裏個展

29・ラウシェンバーグROCI日本展