(器論)断章





安倍安人との対話


 ――安倍さんは「器は桃山期から始まる」ということを言われますが、そのこころ

は?

安倍 やきものを日常生活に使い始める最初が茶の湯だということです。それは室町
後期、特に千利休の侘び茶からですね。古い中国陶磁とか朝鮮陶磁とか、古墳から
いっぱい出てくるでしょう。それを見ると使った形跡がないんです。窯から出たまま
の状態で、ダンゴなんかもついたままなんです。だから近世以前というのは、やきも
のを「使う」という習慣がなかったんじゃないかと思うんですね。

 ――いわゆる祭器とか明器として作られていたということですね。

安倍 うん。やきものはあの世に持っていって、そこで使うものだった。それを利休
は、茶の湯の懐石料理の器に持ち込んだ。それが出発じゃないかと思うんですね。

 ――祭器・明器でも形は器の形をしてますが‥‥。

安倍 あれは茶人が器に用いたことによって、これが器の形だよということに決めた
ことであって、最初から日常使いの器として作られていたとは限らんでしょ。それが
どうしてかと言うとね、高台というのがついている。高台がつくということは、それ
を使う者は現世に生きている人間より位がひとつ高いということを意味している。高
台をつけることにより、器の位置をひとつ高くしているわけ。だから高台のついてい
る器というのは本来使うものではなかったんじゃないかと思うんです。甕とか壷のよ
うな高台のないもの、それから鉄鉢のように高台のないもの、あれは古い時代から
使ってたと考えられる。だけど高台をつけたものは、人間の日常生活とはかけ離れた
ものとして扱われていたと思います。

 ――つまり、茶の湯によって、高台のついたものが日常の器として使われるように
なった、それが「器」の始まりであるということですね。

安倍 日本ではね。中国だと明の時代になってから。朝鮮では李朝の末期あたりか
ら、やきものを日常使いのものとして扱うようになる。

 ――造形にとっての「器」、あるいは「器」にとっての造形、という観点からする
と、この話はどういうことになるのかな。

安倍 茶の湯の器というのは最初は借り物ですよ。従来の既成のものを取り込んでき
て茶の湯の道具として用いた、だから借り物ですよね。それが、茶の湯が盛んになっ
てきて侘び茶の世界が確立してくると、茶の湯のみに使える器というふうに様式が立
てられていくようになる。そして茶の湯以外での使用を否定あるいは拒否する器、そ
れが茶の湯が求める器の造形ということになっていくわけです。たとえば矢筈の水指
というのが織部様式の水指にありますが、これは日常の生活道具としては非常に使い
づらい。楽茶碗の口作りが抱え込むようになってるのも、日常の湯のみ茶碗としては
使えませんね。それはいわゆる日常というものを否定するところに、茶の湯を成立さ
せようとする意図の表われです。道具としての器の造形にもその意思が託されている
わけですね。茶の湯によって器が日常の中に取り込まれたにもかかわらず、今度はそ
の日常を否定して茶の湯以外には使われない器、茶の湯のみの造形というものが出て
くる。

 ――なるほど。そういう両義性があるんですね。

安倍 そうです。器というのは、多くの場合、食物を盛る道具として使われますが、
それはいわば「いのち」を盛るということですね。つまり「いのちを盛る器」という
のと、それに対して「こころを盛る器」というのが出てくる。茶の湯というのは精神
性を求めていくセレモニーだから、そこでは「こころを盛る器」が、日常性から離れ
たところで求められていくようになる。それが茶の湯の造形ということになっていく
わけです。

 ――いうなれば、日常の器は「いのちを盛る器」、茶席で使われる器は「こころを
盛る器」ということですね。

安倍 そう。その区別をきちんと意識しないでものを作っていくと、わけのわからな
いものになる。いのちもこころも一緒くたに盛ってしまうようなものになってしま
う。だから、如何に日常を拒否しようかとする意識が茶の湯の造形の出発となる。
「侘び」というのもそういうことだと思う。日常から遠く在るものや事柄を「侘び」
という。茶室をわざわざ狭くしていったのも、それが反日常的な行為であり、その空
間は日常から切り離れたものになるからなんですね。日常から切り離れた時間を持つ
ということ、そのことの意味をよく考える必要があるんじゃないでしょうか。

(安倍安人=備前焼陶芸家)