仏像−スケッチとエッセイ


菩薩よ
あなたは美しい



高木 隆司
2006

観音菩薩

 観音菩薩は、仏教が普及した多くの地域で人々にもっとも親しまれているほとけです。私は2004年にインド北部のシッキムを訪れました。シッキムは文化的にはネパールと同じであり、仏教寺院がたくさんあります。そこに安置されている仏像には、釈迦ムニと並んで観音菩薩があったように記憶しております。
 「観音」とは、人々の苦しみを観て、悩みの声を聞いてくれることを意味します。観音菩薩は、大乗仏教のヒーロー(あるいはヒロイン)なのです。この菩薩は、千手観音、十一面観音、馬頭観音、如意輪観音など、30を越える異なる姿に変身しながら、人々の前に現れます。本来の姿は「聖観音」と呼びます。観音菩薩は、慈悲の表情をもち、人々を癒そうとするしぐさををしています。ただし、馬頭観音だけは、不動明王のような怒りの表情を示しています。怒りも、時には慈悲として必要なのかもしれません。
 日本人にもっともなじみのある経典は般若心経ですね。その冒頭に、「観自在菩薩」という別名で、いきなり観音菩薩が現れます。そこでは、「空即是色、色即是空」という宇宙の真理を、釈迦ムニの代理としてシャーリプトラ(舎利子と漢訳されている)を始めとする多くの出家者に説明しているのです。苦しみにあえぐ民衆の味方という観音菩薩の性格を考えると、この場面はいささか違和感をもちます。知恵を代表する文殊菩薩ならともかく、なぜ観音菩薩が出てくるのでしょうか。「般若」とは、知恵を意味するサンスクリット語「プラジュナー」の音訳なのですから。私が想像するに、観音菩薩は大乗仏教が生まれる時期に、知恵から慈悲までなんでも請け負うスーパーヒーローとして登場したのかも知れません。その後、役割分担がはっきりして、慈悲の専門家になったのでしょう。
1 法華寺の十一面観音菩薩 (奈良市)

 十一面観音は、頭上に10個の顔を載せていて、まわりを取り囲む人々のすべてに顔を向けていることを表現しています。法華寺の十一面観音菩薩は、奈良時代(8世紀)、聖武天皇の妃であった光明皇后をモデルとして制作されたと信じられております。彼女は、輝くばかりの美貌と強靭な性格をもち、病弱であった天皇を助けて、多くの国家事業を成し遂げました。その代表は全国に配置する国分寺の総元締め東大寺の建設、そこに安置する大仏(ビルシャナ仏)の鋳造です。さらに、貧しい人々のための病院を建設し、自ら患者に接することもありました。
この十一面観音は、ファーストレディーとしての光明皇后の気品と美しさを余すとことなく再現しております。この仏像にほれ込んでしまった僧侶がいたという話も伝っております。国家建設の時期、不安と陰謀が渦巻く中で、おそらく泥沼の上に咲いたハスの華という印象に人々に与えたことでしょう。光明皇后の中に、男まさりの性格の強さ、女性としての美しさ、それから菩薩行としての慈善事業という三つの要素が混在していたことが、この仏像の妖しい魅力を生んだのだと思います。
彼女は藤原氏の出身であり、皇族以外から皇后になった最初の人でした。私は、彼女の写経の筆跡を見たことがあります。一字一字がみごとなバランスを保ち、しかも優美さも兼ね備えておりました。
2  聖林寺の十一面観音菩薩 (奈良県,井市)

 人体の美しさという観点で仏像を選ぶとなると、聖林寺のこの十一面観音菩薩が筆頭にくるのではないでしょうか。ふっくらとした優雅な顔、細くくびれたウェスト、豊かな腰、いずれも女性的な魅力を発散しています。ミロのヴィーナスにも劣らないとさえ、私は思っています。この仏像には、いくつか特徴があります。その一つは、垂直方向のプロポーションです。
 頭の上端からへそまで、へそから足裏までの長さの比をとると、ミロのヴィーナスでは1:1.6で、ちょうど黄金比になっております。西洋では、これが美の基準なのです。レオナルド・ダ・ヴィンチの素描に「ヴィトルヴィウス的人間」があります。全裸の男性が両手を広げていて、それに円と正方形が重ね合わせてあります。この男性も、黄金比のプロポーションをもっています。聖林寺の十一面観音では、この比が1:1.4であり、他の多くの仏像の比1:1.2に比べて、聖林寺の観音は黄金比にちかいのです。
 もう一つの特徴は、手の形以外は正確に左右対称であることです。一般に左右対称なデザインは、崇高な印象と同時に、堅苦しい感じも伴います。西洋でも東洋でも、官庁や寺院の建築は、左右対称にすることによって人々にその権威を印象づけようとしていますね。この仏像の魅力は、プロポーションの美しさと崇高さが融合されていることです。私は、そのような印象を受けたので、光につつまれた背景を描いたのです。
3 渡岸寺の十一面観音菩薩 (滋賀県高月町)

 琵琶湖北部の湖岸一帯を奥琵琶と呼んでいます。奥琵琶は、観音路と呼ばれるほど多くの観音菩薩が保存されていて、その代表が、国宝である渡岸寺の十一面観音菩薩です。元は金箔で覆われていたのですが、現在はその下地の黒漆が出ています。しかし、その気品をともなった豪華さは、まったく失われていません。
 戦国時代には、琵琶湖周辺はしばしば戦場になりました。そのたびごとに、渡岸寺近くの住民はこの観音像を地下に埋めて、破壊と略奪から守ったそうです。奥琵琶の多くの観音菩薩は、貴族のものではなく一般の人々のものだったのでしょう。なかには、村のおばさんをモデルにしたようなユーモラスな観音菩薩もあります。私が2004年に小さなお堂に安置されている別の観音菩薩を拝観したとき、近くの商店の主人に電話連絡してお堂の鍵を開けてもらうようになっていました。この主人の顔には、観音を守っているという誇りが見て取れました。
 ところで、この十一面観音菩薩の顔は、エキゾチックですね。ヒンズー教の神様を連想させます。もしかしたら、インドか、あるいは他の外国の仏師によるものかもしれません。この観音の後頭部にある一つの顔は、大きく口を開けて笑っております。人々に笑いを与えようとしたのか、もしかしたら人間の浅はかさをあざ笑っているのか、とにかく不思議な仏像です。
4 普賢寺の十一面観音菩薩 (京都府京田辺市)

 この仏像は、韓国の三国時代(4−7世紀)の百済から伝来したということから、この名前がついています。しかし、それも確かではありません。この仏像には謎が多いのです。どこで誰によって作られたのかという出生の秘密以外に、そのプロポーションにも秘密があります。聖林寺の十一面観音菩薩について説明した、へそをもとにした比の価は、百済観音では1:1.6であり、ミロのヴィーナスと同じ黄金比です。確かに、すらりと伸びた足をもっています。もっとも、百済観音では、衣装に覆われていてへそが見えません。そこで、ひじの高さがへその高さと同じだという一般的な性質をもちいてへその位置を推定しました。
 百済観音は、西洋的な美的感覚をもっていた仏師によって作られたという可能性があります。一方、百済観音の顔をまじかで見ると、日本的でもなく西洋的でもありません。大きな眼は真正面を見つめているし、扁平な顔は中国の仏像を連想させます。やはりアジア生まれの仏像です。もしかしたら、敦煌あたりの西域で誕生したのかもしれません。
 出生とプロポーションに謎があることから、宇宙とビッグバンのイメージを背景として採用しました。どう考えても、地上に足をつけているような感じがしなかったのです。
5 法隆寺の百済観音菩薩 (奈良県斑鳩町)

 この仏像は、韓国の三国時代(4−7世紀)の百済から伝来したということから、この名前がついています。しかし、それも確かではありません。この仏像には謎が多いのです。どこで誰によって作られたのかという出生の秘密以外に、そのプロポーションにも秘密があります。聖林寺の十一面観音菩薩について説明した、へそをもとにした比の価は、百済観音では1:1.6であり、ミロのヴィーナスと同じ黄金比です。確かに、すらりと伸びた足をもっています。もっとも、百済観音では、衣装に覆われていてへそが見えません。そこで、ひじの高さがへその高さと同じだという一般的な性質をもちいてへその位置を推定しました。
 百済観音は、西洋的な美的感覚をもっていた仏師によって作られたという可能性があります。一方、百済観音の顔をまじかで見ると、日本的でもなく西洋的でもありません。大きな眼は真正面を見つめているし、扁平な顔は中国の仏像を連想させます。やはりアジア生まれの仏像です。もしかしたら、敦煌あたりの西域で誕生したのかもしれません。
 出生とプロポーションに謎があることから、宇宙とビッグバンのイメージを背景として採用しました。どう考えても、地上に足をつけているような感じがしなかったのです。
法隆寺の観音菩薩

6 薬師寺の聖観音菩薩 (奈良市)

 薬師寺の仏像は、この聖観音にしても薬師三尊像にしても、力強く端正な美しさをもっています。どことなく硬い表情をもつ飛鳥仏と、華やかな天平仏の間にあって、白鳳時代と奈良時代初期のほとけは「端正」という言葉がふさわしいと思います。これらの仏像は、強力な支配体制を確立した天武天皇の光り輝く時代を象徴しているようです。この聖観音も、堂々としていて男性的な体格をもち、顔立ちも精悍です。もしかしたら、これを作った仏師は、天武天皇のイメージを凝集させようとしたのかもしれません。
 天武天皇は大勢の妃をもち、皇子や皇女が大勢いたためか、天皇が亡くなった後、一族のなかで激しい争いと陰謀が続きました。後になって即位が可能な皇子がいなくなるという状況が生じ、しばらく女帝が続きました。そのために、奈良の都で栄えた天平時代の文化は、華やかさを得た一方で、野性的な力強さを失ったように思えます。
 もっとも、天平文化よりも白鳳文化のほうが優れていると言うつもりはありません。異なる文化には異なる特徴があるのは当然です。多様な文化を持っていることは、それだけ豊かさをもっていることなのです。
7 インドの観音菩薩 (インド,ビハール州)
 シッダッタが悟りを開いたところブッダガヤは、インドのビハール州にあります。そのために、インドの中でも貧しい州のひとつであるビハール州には、仏跡が数多くあります。ビハール州にあるこの観音菩薩は、慈悲の心とともに深い知恵も持ち合わせているように見えます。前に、知恵と慈悲とは別のもので、それぞれ別の菩薩が受け持っていると述べました。インドの菩薩については、そのようにはっきり分けられないのかも知れません。これは、宗教に対する考え方の違いのように思えます。
 日本人の多くは、仏教美術を文化ととらえています。その場合、多くの菩薩や如来を同時に受け入れることができ、それぞれの違いをはっきりさせ、役割も決めようとするでしょう。一方、文化ではなく信仰の対象とするならば、もっとも頼りになる一つのほとけを選ぶでしょう。選ばれたほとけには、知恵や慈悲からあの世この世の繁栄まで、すべてを願うことになります。これが本当の信仰なのかもしれません。
 ところで、この観音菩薩のすわりかたはおもしろい。座禅のような正式のあぐらは、多くの如来がしております。しかし、この菩薩のくずしたあぐらは、日本の仏像にはめったに見られません。リラックスするときの姿勢は、国によって非常に違います。外国の仏像をみるときは、日本の生活習慣にとらわれないのがよさそうですね。
8 スリランカの観音菩薩 (スリランカ,ベーラガーラ)

 スリランカは、仏教を国教としている国であり、多くの仏教寺院があります。スリランカや東南アジアの仏像の顔立ちは、日々を力強く生きている人々をモデルにしているような印象を受けます。貴族や妃をモデルにした女性的で優雅な仏像に見慣れている私たちは、これらの仏像に違和感を感じてしまいます。これも宗教に対する考え方の違いから来るのかもしれません。
 スリランカのこの観音菩薩については、私も違和感を感じることなく、すばらしいの一語に尽きます。人間の理想がみごとに表現されていて、非常に哲学的な制作だと思います。広隆寺の弥勒菩薩に感激したカール・ヤスパースがこの観音菩薩を見たら、やはり同じ感想をもらしたことでしょう。実は私はこの仏像をまだ見ていません。このスケッチは、写真を見て描いたのです。再度スリランカを訪ねる機会があったら、ぜひ見たいと思います。
 ところで、片ひざ立てたこの姿勢は、日本ではめったにありませんね。しかし、日本でも平安時代初期までは片ひざを立てた姿勢は普通だったのです。京都山科の醍醐寺には、年老いた小野小町の坐像があります。この小町は片ひざを立てて座っています。

9 神呪寺の如意輪観音菩薩 (兵庫県西宮市)
 如意輪観音菩薩は、6本あるいは2本の腕をもつ姿として表現されます。6本の場合そのうちの2本は、意のままに欲しいものが手にはいる宝珠と、仏法を広める宝輪をもっています。人々が抱く夢を反映させたほとけと言えましょう。
 一般に6本腕の如意輪観音菩薩は、なまめかしい女性の魅力を発散させている場合が多い。大阪府歓心寺にも有名な如意輪観音があります。こちらは肌色の色彩がきれいに残っていて、もっとなまめかしいのです。神呪寺のこの如意輪観音は、平安初期の淳和天皇の皇后がモデルです。この皇后は、如意輪観音への信仰が厚く、出家の気持ちをもっていました。多くの妃がいた宮廷で、この世のはかなさを感じたのかもしれません。空海が彼女をモデルにしてこの仏像を作り、それを本尊として神呪寺が建てられました。その直後に皇后は出家したとのことです。
 この如意輪観音菩薩は、年に一日だけ公開される秘仏であり、私はその日に神呪寺を訪ねてこの仏像と対面してきました。その切れ長の眼は、心に突き刺さるほどの妖しい魅力をもっていたことを覚えています。
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