カフェテリア

スクリプトについてのスクリプト」

______

 簡単に言えば,スクリプト(script,台本)とは,プログラムの1種でもあるので,スクリプトを記述することをプログラミングと呼ぶこともある.コマンド プロンプトと呼ばれるウィンドは,ユーザーが直接コマンドを打ち込んで,コンピュータを動かすための窓口である.ここでは,一連のコマンドが記されたファイルを自動的に読みこませ,コンピュータに処理をさせるこもできる.これらのコマンド(命令文)は,自動的に更に詳細なアセンブラや機械語と呼ばれる一群の命令が記されたプログラムを実行している.
 一般的に「プログラム」というと,数行で終わるものから,ワープロや画像処理といった複雑なアプリケーションも含まれ,それらのプログラムは,階層性を持ち,一目で見渡せるような量ではない.これに対し,スクリプトは,まとまった一連のプログラムを簡易な記述で表し,命令文としたものが多い.「マクロ(macro)」という用語もスクリプトと同義である.しかし一般にマクロといった場合,条件判断などを含まない単純な処理で,ユーザーのキー入力手順をメモし,それを実行して同一の処理を行う「キーマクロ」などもある.
 昔の習慣で,コマンドプロンプトで実行可能なスクリプトを「バッチ(batch:ひとかたまり)」と呼ぶことがある.これは,パソコン以前のコンピュータから,自動処理をする言葉として使われていたものである.もちろん今でも,複数のソフトを使って連続処理を行うことができる.
 このような事例によって更に,一つのソフト上の一連の作業(アクションや履歴)を記録して,そのソフト上で再現させる場合も,その記述をスクリプトと呼ぶ場合がある.
 つまりは,一連の作業に名前が付けられるように,一連のプログラムにも名前を付けて,その名前で命令することができるわけだ.その上位の命令を集めたプログラムがスクリプトと言えるだろう.まさに,プログラムという役者を活躍させる台本と位置付けられる.

 少し話がそれるが,「それなら汎用プログラムを使いこなす台本とはいかなるものか?」と問えば,皆さんご存知のように,通常ユーザーが使用後にいつも保存している,それぞれのソフトのアイコンと拡張子の付いたファイルということになる.どうもこのGUIがいつの間にか脚本家を居候(dependant)にしてしまったようである.台本を書いているつもりが,役者に都合のいい筋書きを書かされ,バージョンアップの劇団をつぎつぎと抱えなければ,脚本家として時代遅れになるがごとき雰囲気だ.実に,クリエーターにあるまじき悲運なことである.
 もっと言うことが許されるなら,そもそもこの利便性をいち早く察知し,マックファンとなったデザイナーこそ,自称クリエータが消費者となって堕落を始めた先駆けなのであった.これは他人事ではない.とはいえ,脚本をブラックボックス化してしまうほどリアルタイムな道化の演技には,なんの悪気もなく,感動さえ覚えるのだ.むしろ,それに甘んじている脚本家が,裸の王様となっていくことに気が付くべきなのである.庶民や機械を侮る事なかれである.それを知っている道化は,すでに新しい創造主(indies)を次の話題にしたいのだから.
 というわけで,ユーザーの使うソフトのファイルは,アルスノートが含まれている.事実ユーザーが作業しない限り,新規ファイルは,書式が初期設定されているだけですからね.ただこれはブラックボックス化されたスクリプトであり,もしそれが見れても,本人も実は意味不明.では誰が知っているかと言うと眼と手と眼差しが認識的表現体となって成した事なのである.ここでやっと道化の出番があるのだ! 少々大袈裟だが...科学と芸術を取り結ぶ現代の道化役,進化と創造を統合する全知全能の遊びこそ,いつも古くて新しい,時代相応の芸術なのである!

ほんとかな?

BACK