石垣 健
「造形譜」をイメージする 音楽における楽譜のように、美術にも「造形譜」があったとすると、それは造形活動にどのように受け入れられているだろうか。おそらく、学校では美術の授業で記譜法を教えているであろうし、街の画材屋に「造形譜」が並び、誰もが独自の解釈と、手近な技法で再現を楽しんでいることだろう。又、絶対音楽的造形や標題音楽的造形が、「造形譜」として記録され、様々な形式が記譜を例とし歴史的に位置付けられているであろう。そして、ガウディのサグラダファミリア教会などは、現在制作中の作品でありながら、「造形譜」がその完成に先立って出版されたりもするのである。これらの「造形譜」による作品は、「制作家」(演奏家 performer)のもつ伝統的手法や、独自の新しい解釈と技法によって制作(演奏 performance)され、画廊や美術館等で披瀝され話題となっていることであろう。たとえば、こんな風にである。
A氏の未制作の造形譜、「交響詩―失われし風―」が五年ぶりに本格的に制作されることになった。場所は、あの○○国際フォーラムの、巨大な吹き抜け空間。演出はA氏の友人であり仕事仲間でもあったB氏、制作はC制作集団である。使われる素材は、昨年来D研究室とE社で共同開発を行ってきたF-99で、当時、造形譜と共に、D研究室CGグループによってバーチャルに発表され、<机上の素材>と批判されたものだが、あの夢のレンダリングをみごとに具現化した新素材なのである。久々のB氏の演出も楽しみであり、C造形グループの習熟した技法がこの新素材と共にA氏の作品にどう挑むかも含め、大いに期待されるところである。今回も観光省(前建設省)と通産省の協同企画展で、この作品は三年間展示された後、前回同様、同敷地及び近隣の植裁に堆肥に変えて返される計画になっている。云々
しかしこのような記譜法も、共同作業も、素材も、かいまみる花のような造形への価値観も、そして観光立国も今はまだ夢である。
工作舎刊 (1999.4 ) より抜粋