まえがき
高木隆司 |
仏教は、紀元前5世紀に北インド釈迦族の王子ゴータマ・シッダッタの教えによって始まりました。シッダッタは、この世の苦しみの原因、およびそれからのがれる方法を知り、仏陀(悟った人)になったのです。 それから300年、紀元1世紀頃には仏教も変容を始めます。仏教が広まるとともに、人々はつらい修行によって苦しみから脱却するのではなく、自分たちを救ってくれる優しい指導者を求めるようになりました。そこで菩薩が登場します。「菩薩」とは、仏陀と同じくらいの悟りに到達していますが、修行者を導くのではなく、人々の中に入ってきて献身的に救済をする人を指します。それに対して、修行を完成させた人を「如来」とよびます。菩薩には、文殊菩薩(Manjusri)や弥勒菩薩(Maitreya)のように実在した人もいるし、観音菩薩のように人々の夢が形になった場合もあります。日本では、奈良時代に人々を導き東大寺建設に活躍した行基や、鎌倉時代に人民の救済に奔走した西大寺の僧興正が菩薩と呼ばれています。 このように、優しいほとけのはたらきで人々を救おうとする方針を大乗仏教とよびます。多くの人々を救うための大きな乗り物という意味です。それに対して、仏陀の教えを忠実にまもって修行するグループを上座部とよびます。スリランカや東南アジアに伝わった仏教は上座部仏教だと言われています。しかし、2004年に私がスリランカを訪ねたときの印象は、人々は日々の生活の安定と幸せを願って寺院に参拝しているように見えました。日本に伝わった大乗仏教となんら変わる所はありませんでした。 大乗仏教が生まれた頃、仏陀や菩薩の姿を見たいという要求が人々の中で強くなりました。西北インドで勢力を拡大した遊牧民族の国クシャンで、カニシカ王が仏像を作ることを決断しました。それまで人々は、菩提樹や仏陀の足跡など、シッダッタを象徴するものを石に刻んで礼拝していたのです。初めて仏像が作られたのは、現在はパキスタンにあるガンダーラです。それに続いてインドのマトゥラーでも作られました。仏教が文化のちがいを越えて広まったのは、人間共通の悩みにいどんだからです。そのとき、仏像というわかりやすい実体が威力を発揮したと想像されます。日本には、6世紀に、仏像や仏典とともに中国と韓国を経由して伝わりました。 仏陀や菩薩の像は人間と似ていますが、その超人的な性格を表現するために人間と違うところもいくつかあります。たとえば、手が異常に長い。これは、人々に手を伸ばして救おうとする意図を表しております。また、男性や女性の特徴がありません。もしかしたら、男女がはっきりしているヒンズー教の神々の像と区別したのかもしれません。ただし、菩薩の像では、胸のふくらみは押さえてあるものの、優しい女性的な姿をしている場合が多いのです。 仏像には、平和で安定した生活への人々の願いがこめられているようです。そのために、顔や体形の優雅さ、救済者の誠実さ、さらには知恵の深さまでを同時に表現しようとしたとさえ思えます。私が仏像に興味を引かれスケッチをはじめたのは、人間の理想像がそこに凝縮されていると感じたからです。そのために、文化財としての仏像ではなく、生きて呼吸している姿を描くことにしました。 ここで、用語について注意をしておきます。「仏像」とはほとけを刻んだ像です。「ほとけ」は「仏陀(Buddha)」が日本でなまってできた言葉ですが、ここでは如来や菩薩を含めて仏教で信仰の対象になるすべてを指すことにします。それから、ほとけに対して敬語を使うことを避けました。これは、ほとけを雲の上ではなく、友人のように私のすぐそばにおきたいと思ったからです。 |
1 弥勒菩薩 (アフガニスタン、ハッダ出土) |
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釈迦ムニよ。この弥勒菩薩には、出家前のあなたの姿が、そっくりそのまま表現されているように思えます。あなたは、威風堂々として、立派な体格、ハンサムな顔、学問と武勇に優れ、しかも王子として次の王位を約束されていました。美しい妻とかわいい息子に恵まれ、何不自由ない生活を送っておられました。 それなのに、なぜ突然出家されてしまったのでしょう。伝えるところによると、ある日城門を出たとき、老いや病いに悩む人、死に行く人を見て、思うことがあったとのこと。しかし、どう考えても、それだけでは家庭や地位をすてるほどの理由にはならないのではないでしょうか。なにか特別な事情があったのでしょうか。 仏典には、この秘密をさぐる手がかりがありません。しかし、出家の本当の理由を追求するのは、もしかしたらプライバシーの侵害になるかもしれませんね。人々が逃れることができない老病死の悩みを解決するために、あえて出家したという美しい公式見解を、私も受け入れておきます。 いずれにしても、あなたの出家によって、ドラマが生まれました。世界史を大きく動かし、日本文化を形成し、私も仏教徒になったわけです。感謝しなければなりませんね。 今後とも、私はあなたの追っかけをします。どうか悪しからず。 2004/12/05 |
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2 苦行する釈迦ムニ (ガンダーラ、2c.、ラホール博物館所蔵) |
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釈迦ムニよ。29際で出家されたあなたは、思想界のリーダー達に教えを乞われました。しかしながら、それを即座にマスターされ、ついには、自分で悟りの道を開かねばならないと自覚されました。「サイの角のようにただ独り歩め」(スッタニパータ、第1、蛇の章より)という言葉は、このころの思いを表したものですね。 それにしても、なんというお姿! 1日に米1粒、麦1粒、豆1粒のみという断食修行−−腹をさわれば背中まで指がとどいたとのこと。 おそらく、死の1歩手前まで行ったことでしょう。それに耐えられたのは、本来頑強なお体のためでしょうね。もしかしたら、あなたの出家の動機、老病死の三苦を疑似体験されようとしたのでしょうか。しかし、老病死は、逃げても逃げても追いかけてくるもの。自ら求めるときとは、違うのではないでしょうか。 墓場での座禅もされたとか。当時の墓場は、森の中の死体置き場でした。昼は、腐っていく死体を十分観察されたことでしょう。夜は、蚊、アブ、ネズミなどに悩まされ、さらに、獣が死体を骨ごとかじるゴツゴツという音が暗闇の中でまじかに聞こえたことでしょう。この修羅場をかいくぐってきたあなたが目覚めたとき、あなたの教えは、確かに人々のこころに深く響いたでしょうね。2004/12/08 |
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3 瞑想する仏陀 (ポロンナルワ、スリランカ) |
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苦行が無意味であることに気がつかれたあなたは、山を降りて村に出てこられました。そこに居合わせた村娘のスジャータは、あなたの姿をあわれに思って乳粥を差し出しました。苦行のあとに口にした、この栄養豊富な食事は、体内に音を立ててしみこむような感じがしたでしょう。そのとき、あなたは悟りへのきっかけをつかまれたとか。 この話は、ゲーテの「ファウスト」を連想させますね。悪魔に魂を売りわたしたファウスト博士は、グレートヒェンという女性の献身的な愛によって救われます。いかにも、女好きのゲーテが好む展開です。しかし、清純なおとめの行動が、悩める男性を救うということは、東洋と西洋に共通にあるようですね。 体力を回復されたあなたは、新しい生き方を求めて瞑想(サマーディー、漢訳は三昧)に入られました。悟りにいたる道として当時の常識であった苦行、ヴェーダ(神話の叙事詩)の朗読などを捨て、いわば新しいパラダイムに挑戦されたわけですね。スリランカの古都ポロンナルワにあり、大きな岩盤をけずって作られたこの坐像は、隣の涅槃像(9回目に登場します)と並んで人々に親しまれております。深い瞑想の表現という点で、これ以上の彫刻を私は知りません。ここは、スリランカの中でもっとも美しいところと、土地の人も言っておりました。 スリランカでは、あいさつするとき、合掌して「アユボワン」と言います(あなたに幸せをという意味です)。これが、仏様をおがむときのしぐさに似ているので、思わず、かれらが信心深いと錯覚してしまいます。しかしながら、一般的に言って、スリランカ人の顔はおだやかです。おそらく、仏教が人々の心の中に生きているのでしょう。 |
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4 悟りの仏陀 (パキスタン、ラホール博物館所蔵) |
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人が困難な課題を解決したとき、どんな表情を見せるでしょうか。たとえば、数学の難問を解く方法を見つけたとき、あるいは宝探しの重要な手がかりを見つけたとき、など。おそらく、目をまん丸に開けて真正面を見つめるのではないでしょうか。口をポカンと開けるかもしれません。しばらく体を硬くして、不動の姿勢をとるかもしれません。 人々が種々の苦しみにとらわれる原因をあなたが悟ったとき、やはりこんな表情をお見せになったことでしょうね。この立像は、あなたのその瞬間を表現しているように思えてなりません。あなたの視線は、普通の仏像のように斜め下ではなく、真正面を向いております。しかも、目をカッと見開いて。口は、グッと噛みしめておられます。この姿勢から、あなたの悟りが、私たちには想像つかないくらい大きいものであったことがわかります。 死後の生まれかわり、輪廻を否定された。体を離れた魂の存在を否定された。修行とは、死後の世界のためではなく、この世の幸せを願う物であることを主張された。欲望や執着を捨て去ることにより、苦から逃れられることを示された。これが真理(法、ダンマ)であると。 今の科学で言えば、執着とは脳細胞のサイクルを信号が伝達しているに過ぎない、快楽とは五感のセンサーが脳に伝わることに過ぎない、ということになりましょうか。このように考えれば、万事覚めた目で見ることができますね。あなたが言われた「色即是空」とはこういうことですか。それとも、もっと深い意味があるのでしょうか。 |
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5 初転法輪 (インド、サールナート博物館所蔵) |
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真理を体得されたあなたは、最初はそれを他の修行者に話すことをためらわれた。あまりにも深い内容なので、他人には理解されないだろうという理由でした。そのとき、梵天(ブラフマン、ヒンズーの最高神)が現れ、人々を導くよう勧めたとか。ここでヒンズーがでてくるところが面白い。仏教は、ヒンズー文化のなかで出発したのですね。 梵天の勧めにしたがったあなたは、仲間のいるサールナートに来られ、5人の仲間(および鹿たち)に真理を説かれました。この坐像は、そのときのあなたを表現したものです。人を導こうという強い意志がお顔や指先にはっきりと表れておりますね。35歳の新進気鋭の指導者でした。ひきしまったウェイストによって、あなたの精悍さがよく表現されております。たまらない魅力です。 それにしても、少々緊張されて、肩に力が入っていますね。無理もありません。だれでも初めは緊張するものです。私も、大学で初めて講義をしたとき、やはり緊張しました。 苦行を放棄して堕落したと、あなたを馬鹿にしていた仲間は、あなたの説法を聞き、即座にあなたの弟子になる決心をしました。理解しにくいとあなたが心配された真理を、かれらがすぐ受け入れたとは、どう考えても不思議です。もしかしたら、あなたの周囲にはオーラが立ち込めていたのでしょうか。 |
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6 慈愛の仏陀 (ハッダ、アフガニスタン出土) |
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最初の5人の弟子に続いて、多くの修行者が弟子になりました。なかでも、バラモン教の有能な指導者サーリプッタやモッガラーナが、自分の弟子を引き連れてきたことは大きかった。たちまち1000人以上の大所帯になりましたね。サーリプッタは、般若心経のなかに「舎利子」という漢訳名で出てきます。名実ともに、あなたの後継者です。彼を得たあなたは、かなり自信を持たれたことでしょう。この坐像に表現されたあなたは、初転法輪のときと比べて肩の力がすっかりぬけましたね。失礼ながら、人々を慈愛の目で見る余裕がでてきたように見受けられます。 一方、多数の修行者をかかえた教団の長として、あなたには管理者の仕事がのしかかってきました。せっかく出家したのに、それはかわいそうという気がします。しかし、いったん指導者として踏みだされた限り、それは避けられませんね。 多くの仏像は、この坐像のように視線が斜め下を向いております。もともと殺生を禁じられた修行者は、歩くとき虫をふみつぶさないように絶えず下を見ることが必要でした。そのために、伏し目が正規の姿勢になったと思われます。しかしながら、仏像が作られ始めると、伏し目の意味が違ってきたのではないでしょうか。参拝した人々は、仏様がこちらを向いてくれていると感じて感激したことでしょう。 |
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7 美貌の仏陀 (ハッダ、アフガニスタン出土. ギメ美術館) |
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釈迦ムニよ。この仏像頭部に見られるあなたは、非常に美しい。美しすぎますよ。人の生き方を説く指導者に、このような容姿が必要なのでしょうか。人々に語りかけるその唇に、口付けしたいと思った女性信者が多かったことと想像します(もしかしたら男性信者も?)。 あなたの教団は、世界ではじめて女性の出家を受け入れました。始めは渋っていたあなたは、多くの女性が望んだために終に決断されました。しかし、そのために、新たな悩みが生まれましたね。男性、女性ともに、たいした意識もなく、ただあなたの美貌にひかれて出家した人もいたでしょうね。男性出家者と密通して妊娠し、トイレでこっそり堕胎した例もあったとか。そのために、女性トイレの囲いの下部を取りはらって、外から見えるようにされたとか。いやはや、あなたの苦労が思いやられます。老病死の苦は克服できても、この種の苦労は付きまといますね。 あなたは、外的な形にとらわれるなと言われました。それは、(物理屋の解釈で言えば)単なる物質の集合にすぎない。しかしながら、あなたご自身の外的な形が人々をひきつけたとしたら、まことに皮肉なことですね。 |
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8 風格の釈迦ムニ (室生寺、平安前期) |
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あなたは、多くの国を訪れて、大勢の人々に語りかけ、真理と人の生きる道を説かれました。いまや、押しも押されぬ全インドの精神的指導者になられました。この坐像を拝見すると、一種の風格を感じます。中年にさしかかったあなたには、初転法輪のときの鋭さは影をひそめ、どっしりとした貫禄がつきましたね。ウェイストも太くなられました。 ところで、あなたの手についている水かきはおもしろいですね。人々を救いあげるためであるとか。以前、あるテレビ番組で小さな水かきがついている人を見ました。オリンピックで金メダルを取った若い女子選手です。泳いでいるうちに水かきが発達したのか、もともとついていたのかわかりません。あなたについては、どちらですか。 あなたの教えが広まるにつれて、あなたや弟子達を食事に招待することが、王侯貴族たちのステータスシンボルになってきました。つまり、美食に慣れてこられたわけです。そこで、普通はぜいたくな生活への欲望が芽生えてくるはずですが、少なくともあなたについては、それは起きませんでした。むしろ、ご馳走を口にするたびに、悟りの境地がゆるがないことを確信されていたのでしょうか。晩年のあなたは、自分を如来(タターガタ、修業を終えた完全な人の意)と呼ばれています。あなたのほかに、阿弥陀如来、薬師如来なども、あなたと同じようにかっぷくがよろしい。美食が人間を完全にしたとさえ思われます。もしそうだとしたら、こんなうらやましいことはありませんね。 |
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9 涅槃の仏陀 (スリランカ、古都ポロンナルワの石像) |
あなたは、80歳という長寿をまっとうされました。35歳で仏陀になられてから、45年の間人々の救済に尽くされました。その間、健康をそこなうことなく、困難にあっても弱気になることなく、常に人々の視線をあびながら1日でさえ精神的な疲労を見せることなく、気を張りつめてヒーローを続けられた。45年間も!! とても信じられません。宗教的な奇跡のなかで、これに勝るものを私は知りません。 あなたの晩年の様子を述べた大パリニッバーナ経(スリランカに伝わる原始仏教の経典、和訳:仏陀最後の旅、岩波文庫)には、腑に落ちないことがいくつかあります。自分の寿命がつきかけていることを、従者のナーランダに漏らしたとき、それに気がつかなったナーランダが、「もっと長生きして自分たちを指導してください」と言わなかったことで、ナーランダをなじられた。それも、しつこく何回も。そのうえ、長生きの努力をやめ、自分の寿命は3ヶ月だと宣言された。鍛冶工のチュンダが差し出した食事のうち、キノコ料理を独占して弟子にはやらず、食べ残しは地に埋めるよう指示された。食後ただちに苦痛が始まった。 これでは、まるで、厄介者され始めた老人が、意固地になって自殺しようとする姿と変わらないじゃないですか。もっとも、漢訳の仏典にはこの話はなく、最近の学説では、釈迦ムニは弟子と同じ食事をしたとしているそうです。私も、そのほうを望みます。 スリランカの古都ポロンナルワにあるこの涅槃像は、他の像とちがって、薄目を開けて何か考えておられるようです。釈迦ムニよ、一体何を考えておられるのですか。もしかしたら、死の兆候が自分の体に満ちてきていることを、科学者のように五感で感じようとしておられるのでしょうか。修行時代に、墓場で死体の腐敗する様子を観察された、その情景と比べておられるのでしょうか。あなたの出家の動機は、老病死の苦を見極めることでしたが、晩年まであなた自身は老病死と無関係でした。初めて老病死を体験され、自分の悟りは正しかったことを確認されようとしているのでしょうか。 私に謎を残したまま、あなたは涅槃をむかえられます。 合掌。 |
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