● 記憶から 1986

"記憶から" 噴水 御影石 1986 福島

"記憶から" 噴水 御影石 1986 福島

"記憶から" 噴水 御影石 1986 福島

maquette
アルスノート
記憶から 1986
デザインの可能性は、制作チームの未だ試みたことのない実力の表徴を信じるにある.
イメージ
記憶がよみがえれば,恐らくどこでも,かつては開拓の地であったのだ.この記憶喪失的な市街化のなかで,山から石を下ろし,石を磨く職人は,表象としての“記憶”の拠り所を知っているはずだ.
構法
構法と言っても,これは心意気の構法である.つまり,プロセスデザインの冒険だった.いや,それ以上にパフォーマー(製作スタッフ)にとっては,とてつもなくリスクのある困難な作業の連続だったはずだ.石の仕事の時,毎回心に決めるのは,形譜による造形プロセスの分離である.つまり,構成をする造形作家とパフォーマー(実制作者)の分離だ.形譜を書き上げた後,その解釈は指揮者と現場スタッフに全て委ねるのだ.私には決してできないパフォーマンス(実制作)を,彼らは成し遂げていく.
出会ったこのメンバー以外には不可能な仕事.
真似のできない技術力とチームワークを残す.そんなデザインが求められた.
基準となる手掛かりはただ一つ.内側に隠された直交面だけである.
デザインとはいかに綿密に計画しても,そのままではプログラムとしての考案に過ぎない.
作品は,制作スタッフの,冷静沈着な行動と勇気の結実である.
100inchを越えるダイヤモンドカッターがあっても,この作品は生まれるものではない.
この記憶喪失的発展の中で,この開拓の地の心意気そのものが,表象として継承されることを祈ろう.
COMA DESIGN STUDIO Ken ISHIGAKI |
|
Page Top |